【〜まえがき〜】
2005年10月14日〜16日までの三日間、蔵前KRAWOODで公開した
ビジュアルボイスドラマ『宍戸町フォーチュンきっす』の〜罪と罰 美原亜紀の一番長い日〜は、
全13話構成の第4話にあたります。では、どうして第4話からいきなり上演したかというと、
1話から3話までは舞台設定やキャラクター初登場などなどお約束っぽい動きが中心となるので、
いっそ、全部のメインキャラが出揃ってキャラクターが動き出す、第4話からステージで見せて、
それ以前はノベルで公開しちゃおうと、私(南原)は思ったわけです。とりあえず、
公演準備というか、キャストに出演意志を確認するための資料として
書いたストーリーをブログで紹介しましたが、公演を終えてからブログ発表版に大幅に手を入れました。
今回は、まず、第1話と第2話を掲載しますが、時間を見つけて、第3話、
それから公演での第4話のノベル版、そして、第5話のノベルまでを次回公演までには
公式HPにすべてアップさせていくつもりでいます。
そのスケジュールは追って、公式HPにて発表していきます。
とりあえず、11月15日前後には、第3話の完全版をアップさせますので〜。
公演開始までには、第5話までのノベルがアップされていて、すべてお読みいただいた上で、
2006年2月3日〜6日の次回公演に来ていただけることができるよう、努力いたしますので、
なにとぞ、よろしくお願いいたします。
2005.10.31 南原順 拝
カァ、カァ、カァ。
宍戸山の向こうへと遠ざかっていくカラスたちの鳴き声。
夏の強い陽射しもようやく落ち着いて、紅色に染まりつつある空を、宍戸城の天守閣からオレは見つめていた。
まもなく訪れる短い夏の夜の訪れを、みんなと離れて一人静かに感じていたかったのかもしれない。
バイクのエンジン音が下から響いてきた。
(蛍さんの原チャリだな、きっと)
下を見た。その通りだった。役場の制服から私服に着替えた夕月蛍さんが、ヘルメットをかぶって原付バイクを走らせるところだった。蛍さんは宍戸町役場の観光課勤務で、宍戸城を担当している。いわばオレたちの監督係だ。でもって、オレたちは城に住んでいるけど、蛍さんだけはアパートに一人暮らしで、ここに通っている。まぁ、オレだって本当のことを言うと、こんなとこに住みたくなんかないわけで、蛍さんが通っているというのは、ごく当然のことだと思う。
原チャリに乗る蛍さんの後ろ姿が遠ざかっていく。それとともに、エンジン音もフェードアウトして、ついには全く聞こえなくなった。
……静かだ。
まるで静けさのベールに城が包みこまれてしまったかのようだ。ついさっきまで観光客たちでにぎわっていたのが、今はまるでウソのようだ。ねぐらへと帰る鳥たちの声も、今はもう聞こえない。
寂しい静けさと書いて、静寂。
風に揺れる木々のざわめきだけが、微かに響いてくる今は、まさにその言葉通りだ。
夕焼け空は、紫色へと塗りかえられようとしている。まもなく夜が訪れる。
と、小さなため息が聞こえた。
「はぁ〜」
なんだか弱々しくて情けない響き。
正直、どうよってかんじの、いただけないかんじの声だ。
誰だ。誰の声だよ。振り返って見れども、あたりには誰もいない。いったい今のはなんだったんだろう、気のせいだったのかなと思っていると、
「はぁぁぁ〜」
さらに力のないため息が聞こえた。さっきに輪をかけて情けない響きだ。
「……なんで、こんなことになっちゃったんだかなぁ」
今度はグチかよ。やだねーっ。
同じ男として、こういうのはいかがかと思うぞ。カッコ悪い。悪すぎだ。
って、すんません。オレだ。オレだよ。オレの声だよ。ってか、さっきからオレがため息をついて、オレがグチっていたのだ。それを他人事のように聞いているオレって、なんんなんだかなぁ。
結局、情けないってオレが言ってたやつは、他ならぬオレだったわけで、オレがオレを情けないと軽蔑していたわけだから、なんなんだかなぁ。
え?
オレ、オレって、オレって誰なんだよって。
そうだった。自己紹介がまだだった。
オレの名前は永井祐也。宍戸町立高校普通科二年生。十七歳。
成績は普通、スポーツはそこそこ何でもありだけど、とりたてて何が得意ってほどでもない。趣味はゲームかな。テレビゲームとカードゲーム。まぁ、どこにでもいる、ごくごく普通で平凡な男子なわけだ。
その平凡な高校生男子のオレが、なんで古式ゆかしい宍戸城の天守閣でため息なんかついてるかっつーと、それは天よりも高く、そいでもって海よりも深い理由があるわけで、でもって、それを説明するには長い話になっちゃうんで、今ここでってのも……、
「ああ、ここにいたですかぁ、ご主人さまぁ」
「って、エリス、いつのまに!?」
「探しましたですぅ」
黒いメイド服を身にまとったアイドルなみのルックスの可愛い子が、宝石みたいに美しい青い瞳をうるうるさせて、オレのすぐ目の前、天守閣の欄干に腰かけてニッコリと微笑んでいた。名前はエリス。ブロンドの髪の毛を左右にリボンで縛って、大きな赤い蝙蝠の髪飾りが頭の上にのっかっている彼女の視線はもちろんオレに向けられている。そして、その背中には黒い小さな翼がある。
それもそのはず、エリスは魔女なのだ。
「エリスは、ご主人さまの忠実なしもべですぅ。だからいつも一緒なのですぅ」
オレのしもべだって。冗談かと思うだろ?
実際のところ、オレだって、エリスから「あなたが、ご主人さまですぅ」って最初に言われた時は、思わずテレビのドッキリ番組かと思ったもんさ。んなもんは、深夜にやってる関東ローカルアニメとか、アキバにあるというメイドカフェの店内だけのお話で、常識で考えて現実にあるはずもないってのは高校生のオレにもわかる。けど、これは本当の話だ。エリスは正真正銘オレのしもべ、オレだけに仕えるのしもべなのだ。
「さぁ、ご主人さまぁ。しましょ、エリスとキッス」
青い瞳をうるうるさせて、頬をうっすらと赤らめながらエリスがオレに迫ってくる。
「いや、待て、エリス。オレは別に……」
オレは後ずさりをする。が、エリスはかまわずにじり寄ってくる。
「いやですぅ、待たないですぅ。今、今すぐ、ご主人さまのお悩みのすべてをエリスが解決してさしあげますからぁ。だから。ご主人さまぁ〜」
「いや、だから、オレは別に……」
たじろぐオレに、さらにエリスはにじり寄ってくる。
「ご主人さまぁ。ご主人さまには、もう、おわかりのはずですぅ。エリスがどれだけご主人さまのことを想っていても、無力なエリスは、ご主人さまとのキッスなしには、願いを叶えてさしあげられないのですぅ」
ああ、そうだ。確かにエリスはキスと引き換えに、何でもオレの願いをかなえてくれる、オレだけのしもべだ。すでに、オレは成り行きとはいえ、願いを二度も叶えてもらっている。叶えてもらって、も〜、トホホな気分さ。
「エリス、ご主人さまのお役に立ちたいですぅ。早くキッスするですぅ、ご主人さま」
「ま、待て、エリス」
「もーっ、ご主人さまったら、どうしてエリスから逃げるのですかぁ」
後ずさりするオレに、どんどんエリスが迫ってくる。
「その、なんというか……」
「ひどいですぅ、ご主人さま」
「って言われても」
オレは後ずさりし続ける。
が、天守閣の隅まで来たら、もう後はない。
「ご主人さまぁ。さ、エリスにお悩みお聞かせくださぁい」
エリスの甘い息が、オレの口元をなでる。
「悩みって、別に、今は……」
「ではでは。欲しいものは? なりたいものは? 教えてくださぁい、ご主人さまぁ」
オレの欲しいもの? なりたいもの?
って、なんだったっけ……。
「しましょ、キッス。どんな願いも叶うですよ」
エリスの唇が迫る。
かわいい。うっとりしたエリスの瞳、紅潮した頬、そして、肉感的な唇。
すべてがオレに向けられて、迫ってくる。
「……ご主人さまぁ」
甘いささやき。
ああ、オレは、オレって……。
ふらふらとエリスの唇に吸い寄せられようとした、その時だった。天守閣への階段の下からエプロン姿のメグちゃんが上がってくるのが見えた。
「あ、お兄ちゃん、夕食の用意ができ……」
カターン音がした。
メグちゃんが、手にしたおたまを落としたのだ。
「……お兄ちゃん」
瞬間、オレとメグちゃんの目が合った。
信じられないという目をしたメグちゃんは、次の瞬間、いったいどこから声が出ているんだろうと思うほどの勢いで叫んでいた。
「だめ、お兄ちゃぁぁぁぁぁぁん!?」
(そっ、そうだった!?)
メグちゃんの叫びに、オレは夢から覚めたようにハッとなった。
接触まで、あと五ミリという至近距離で、オレは辛うじてかわした。
「いかん、いかん。オレとしたことが」
「んっ、もー、どうしてですかぁ、ご主人さまったらぁ!」
プンプン顔でエリスがオレをにらむ。かわいい。って、だから、そんなふうに思っちゃいかんのだ、オレよ! まったく、散々な目にあって、もうわかってるはずなのに。まだ懲りてないのか。ああ、情けない。
「なっ、なに!? どうしたの、メグちゃん」
「絹を引き裂くか弱き乙女の悲鳴。なにごとでござるか!?」
瞬間、亜紀と史奈が現れた。
亜紀は、オレとエリスが一緒にいるのを見るや、たちまち表情を曇らせて、
「……祐也くん、まさか、あなた、またエリスと……? そうなの、またなの? またキスしちゃったの?」
「うぬぬぬ。またしても祐也どのをたぶらかしたか、この小悪魔」
「どうなの、祐也くん。どうなのよ、エリス!? しちゃったの、キス」
「ふふっ、さぁ〜、どうでしょう。すべてはぁ〜、ご主人さまとエリスだけの秘密ですからぁ。ねっ、ご主人さま、秘密ですよね。ヒ・ミ・ツ。ですよねぇ〜」
「祐也くん、あなた、じゃあ、またエリスとキスを……」
亜紀の両肩が、わなわなと震えている。
「ちっ、違うって。ないない、何もないから」
「どうなの、メグちゃん?」
オレにではなく、メグちゃんに聞くってか。
「あと五ミリってとこでした」
「五ミリですって? 祐也くん! あなた、あれだけの目に二回もあって、まだ懲りてないの!?」
亜紀がオレをきっと睨んだ。
「二度あることは三度あるとは言うが……」と史奈。
「いやぁ〜ん、三度目の正直ですぅ。ねっ、ご主人さまぁ」
「そういうことなの、祐也くん?」
亜紀の目が、どんどん恐くなっていく。
「言ってたのに、幼稚園の時、私のこと好きだって。大きくなったら、私と結婚するってずっと言ってたのに……」
ついに亜紀の昔話が始まってしまった。
「ずっとずっと、あの日の約束を信じてきたのに……」
「いや、だから、亜紀。オレはだなぁ」
「信じてきたのに、ずっとあの日の約束を信じてきたのに……」
亜紀の目から涙がこぼれ落ちた。
「ばか、ばか。祐也くんのばか」
「……亜紀どの。かわいそうに」
史奈が、そっとハンカチを亜紀の手に握らせる。
「あ、ありがとう、史奈さん」
目にハンカチを押し当てる亜紀。
史奈はキッとエリスを睨むと、声高に言った。
「えーい、人の心を惑わす小悪魔が。こうして、幾多の人々の幸せを踏みにじってきたのであろう。だが、これからはそうはいかん。亜紀どのと祐也どのの幸せは、この土方史奈が命を賭けて守る。守ってみせる。今こそ、今宵こそ、この場にて我が祖・土方歳三が伝えし、封魔が竹刀にて退治してくれよう」
先祖伝来の新撰組の羽織を着た史奈は、常に腰に差している竹刀を、さっと構えるやエリスへと向ける。次第に竹刀は金色の光を帯びてくる。史奈の霊力が、竹刀に充填されているのだ。今、一太刀ふるえば、金色の衝撃波がエリスに向かって放たれる。もう、何度となく、オレはそれを見た。
「よいか、小悪魔。もはや、いつぞやのような不覚はとらんぞ。あれから、更なる厳しい修行により、私は新たな剣技に開眼した。今宵こそ、貴様を倒し、亜紀どの願いを、祐也どのの命を……。いざいざいざ、さぁ、かかってまいれ」
「いやぁーん。エリス、争いごとは嫌いですぅ」
「小悪魔が。聞く耳もたん。かかって参らぬとあらば、こちらからいくぞ」
「ご主人さまぁ、史奈がエリスをいじめるですぅ。エリス、かわいそうですぅ」
「たわけたことを。でぇーぃ」
史奈が思いっきり力をこめて、竹刀を振った。金色の衝撃波が、まるで矢のような勢いでエリスに襲いかかった。巧みに、エリスは紙一重のところでかわした。金色の光の矢は天守閣の窓の向こう、はるかかなたの空へ消えていった。
「うぬぬぬぬ。仕損じたか、城を傷つけまいとしたのが裏目に出た。貴様さえ倒せばすべては終わる。かくなる上は城ごと貴様を木っ端微塵に」
史奈が、今にも第二撃を加えようとした時だった。
「あの〜、お楽しみの夕食タイムはまだでしょうか〜」
おっとりした声がその場の緊張の一切をかき消した。
「ちとせさん!?」
誰もが同じタイミングで声を上げた。
「私、さっきから食堂で、皆さんを、ずーーーっと、ずーーーーーっとお待ち申し上げておりまして……。ああ、お腹ぺこぺこで死にそう。あ、今のは物のたとえといいますか。はは、不老不死の私が死にそうなんて、おかしいですよね、はははははぁ」
物言いこそおっとりした口調だが目が、声が怖い。表情は完全に殺気を帯びていた。
「まーだーでーすぅーかーっ、お夕食はーっ」
ちとせさんのお腹が、ぐーっと鳴った。
ヤバイ! 流しの紙芝居屋をやっていて全国を放浪し続けてきたちとせさんは、普段は温厚なのだが、食べ物のことになると人格が豹変するのだ。貧乏で食べるのもままならない時代を過ごしてきたことから、お腹が空くとヤバイ状態に……。って、うわっ、すっ、すごい殺気だ。ちとせさんの全身から、まるで嵐のような激しい殺気が放たれ、身体が動かない。
「……お夕食、……お夕食」
ちとせさん以外の全員が凍りついた表情で一斉にオレの顔を見た。亜紀やメグちゃんはともかく、史奈やエリスまでが身体の自由を奪われているのか、目でオレに助けを求めている。
「み、みんな。中断してご飯にしよう。なっ、なっ、なっ」
必死で喉の奥から声を絞り上げ、上ずって、かすれた声でオレがいうと、これまた、ひきつったかんじの苦しそうな声で、
「そっ、そうね。食べましょ」「ですね」「ですぅ」「ござるな」
たちどころに、全員がうなずくと、ちとせさんの全身から放たれていた嵐のような殺気はピタリと消えた。身体に自由が戻った。
「では、食堂に向かって、レッツビギンっす〜」
ちとせさんはニッコリ笑って言った。
はぁ、やれやれ。手遅れにならなくてよかったというか……。
「では、いただきます」
「いただきまーす!」
オレの音頭とともに、夕食が始まった。
宍戸城の食堂は、昔からこうだったのかどうかは疑問だが、和風と洋風がミックスされている。オレたちは大きなテーブルを囲んで夕食を食べ始めた。本日の夕食は、ポークジンジャー味噌風味焼きと、夏野菜のサラダ、冷奴、しじみのみそ汁。いずれも、メグちゃん特製メニューだ。
「おいしーい。ほんと、メグちゃんって料理が上手よね。うらやましいわ」
「まことでござるな」
亜紀の言葉に、史奈がうなずく。
二人とも、さっきまでの険しい表情はすっかり消えて、穏やかな笑顔で箸を動かしている。亜紀はやっぱり笑顔の方がだんぜんかわいいし、史奈もこういう時はごく普通の女の子ってかんじがする。
「鶴亀、鶴亀。ああ、長生きはするものですわ。こんなおいしいものが食べられるのですから。ほんと、応仁の乱とか、天保の飢饉とか、太平洋戦争の頃に雑草や木の根っこを食べていたのを思えば、なんて幸せなのでしょう。もぐもぐ」
「ちとせさま」
ちとせさんの言葉に、史奈は襟を正して耳を傾ける。
見た目は18歳ぐらいのちとせさんが長生きというのには違和感があるのだが、驚くべきことに彼女は平安時代の生まれで、すでに千年以上生きているというのだ。なんでも、藤原南家の生まれで、若狭で上がった人魚の肉を食べてしまって、不老不死になってしまったのだという。以後、千年にわたって、ちとせさんは日本の歴史を見守り続けてきたというわけだ。もちろん、史奈の祖にあたる新撰組副長土方歳三とも親交があったらしく、それもあって、史奈は、ちとせさんのことを尊敬、いや、崇拝しているのだ。
が、そんなことはおかまいなしに、ちとせさんは純然と自分のペースで言葉を続ける。
「それに、もぐもぐ。私だけ食費を納めなくてもご飯を食べさせてもらえるだなんて、はぁ、長く生きていればこんな幸せなこともあるのですね。ありがたや、ありがたや。紙芝居屋やりながらも、マンガ家への夢は諦めきれずに東京の出版社に原稿を持ち込みをしていた頃は、温かいご飯なんて夢のまた夢。紙芝居で稼いだ十円玉を十枚握りしめて小さなパン工場に行っては、そこで捨てるはずのパンの耳を綿菓子が入るような大きなビニール袋分けていただいて、それで命を繋いでおりました。たまに500円とか稼いだ日には、100円ショップでマヨネーズを買って、パンの耳にうっすらとつけて食べることだけが唯一の贅沢。米のご飯など夢のまた夢。コンビニでおにぎり一個買うお金で三日は食いつなげるのですから、パンの耳、パンの耳は貴重な食材です。王様の耳はパンの耳〜」
「ううっ。ちっ、ちとせさま。そんなご苦労を……」
一人史奈だけは感動したように話に聞き入っているが、オレを含めて他のみんなは、ちとせさんの話ではなく、自分たちそれぞれの話題で盛り上がりながら、食事を続けている。
ちとせさんの話は長い。でもって、オレたちには意味不明なことが多くて、なかなかついていくのは大変で。
尚もちとせさんの話は続いている。
「が、しかし、日本人なら米を食え。断固お米です。いえいえいえ、ハウスハウスハウス、今ここに至って口が肥えたから言うわけではありません。パンの耳大好きっす〜。今、ここにあったら、それをおかずにご飯三杯はいけちゃうでしょう。あ〜、それにつけても炊き立ての暖かいご飯のなんとおいしいことでございましょう。この生姜焼きときたら、豚肉と生姜だけでも美味しいのに、軽く八丁味噌で味つけしているのが甘辛くて独特の風味で、ご飯が進んで進んで、ああ、もう、お茶碗が空になってしまいましたぁ」
「ちとせさん、ご飯のおかわり言ってくださいね」
「うれしいですわ、メグさん。では、さっそく、おかわりを」
ささっと茶碗を空にすると、ちとせさんはメグちゃんに差し出す。
「おかずも、まだありますから。言ってくださいね、ちとせさん」
「では、もしも、ごはんとおかずが残るようでしたら」
「いつものように、夜食のおにぎりにすればいいんですね」
「ありがとね、メグさん。ご飯やおかずを食べ残しなんて、そんなもったいないことをしたら、山の神さま、かまどの神さまがお怒りになりますからね。まさか、好き嫌いとか食べ残しとかしている方は……」
突如、厳しい眼差しで全員のお皿や茶碗を見回す。うわっ、空気が重い。殺気だ、殺気。ちとせさんの全身から殺気が放たれている。一瞬、場の全員に緊張が走った。
「はい〜、そんな罰当たりな方はいらっしゃいませんね。合格です。もし、いたら、お仕置ですよ、お仕置き。食べ物を粗末にする方には断固としてお仕置き、ダンゴは三兄弟、ですからね〜」
ニコニコと笑顔になって、ちとせさんは再びご飯を食べだす。
ホッとするオレ。
これで嫌いな食べ物があったりしたら、今頃は……。
「ちとせ様の言、至極もっとも。史奈、日々、肝に命じております。実はどうしても椎茸が食べられなかったのですが、何度となく滝に打たれ、山奥の洞窟にこもって修行した末に、ようやく椎茸嫌いを克服し……」
「史奈さん、椎茸が苦手だったんだ」
亜紀が意外そうに言う。
「内緒にしていたが、実は匂いをかぐのも嫌いで」
亜紀に返事をしながらも、史奈はちとせさんのことが気になるのか、ちらちらと見ている。が、ちとせさんは自分に話しかけられたことすら気づいていないのではないだろうか。史奈の視線を気にすることなく、ただ黙々と箸を動かしてご飯を食べ続け、
「メグさん、おかわりを」
「失礼いたしました。食べる時は食べることに集中せよですね。では、私も」
何に納得したのか、一人で頷くや否や史奈はご飯をかっ込み、
「メグどの、私にもご飯のおかわりを」
「はーい」
嬉しそうにメグちゃんが、二人の茶碗にご飯をよそう。
「さぁ、どうぞ」
「ありがとうね、メグさん」
「かたじけない」
ちとせさんと、史奈がお盆の上の自分の茶碗に手を伸ばすと、
「はぁ、今日のご飯もとってもおいしいですぅ〜」
エリスが素っ頓狂な声を上げた。
外国人という風貌にもかかわらず、エリスは器用に箸を使って、ぱくぱくと笑顔でご飯を食べている。
「エリス、しゃーわせ。メグさんは料理の天才です」
「エリスさん、ありがとうございます」
嬉しそうにペコリと頭を下げるメグちゃんは、おいしく食べてもらっているのを見ている時が、一番幸せなのだ。
「ふん。小悪魔ごときに、メグどのの料理のおいしさが本当にわかるものか」
おかわりを受け取りながら、史奈がエリスをキッと睨みつけた。
「ぷーーっ、わっかるですぅ、これでもエリスはドイツ、フランス、インド、中国などなど世界各国の料理を食べ歩きしてきたですの。メグさんの料理の腕は世界の一流シェフたちに一歩もひけはとらないですぅ。」
「そ、そんな。メグなんか、まだまだです」
恥ずかしそうにしながらも、メグちゃんは嬉しげだ。
「悪魔のささやきよ。こんな言葉に心を許してはならんぞ、メグどの。こうやって油断させて、心の隙間に入り込み、こやつらは次々に善良な人々に悪しき欲望の種を植え付けては破滅へと追いやってきたのだ」
「は、はい。でも……」
不安と当惑の入り混じった顔で、メグちゃんはエリスと史奈を見比べる。
「わかりました」
エリスに対して、申し訳なさそうにしながらも、メグちゃんは史奈の言葉に頷いた。メグちゃんの目は少し寂しげだった。
「もーっ、どうしてですぅ。いつもいつもエリス、悪者扱いです。すべてはご主人さまのためなのにぃ。お忘れですかぁ、エリスとキッスすれば、ご主人さまは何でも願いが叶うのですよぉ。これは、とってもとってもすごいことなんですよぉ」
もぐもぐ食べながらエリスが反論すると、
「その代わり、祐也くんの命は千日縮むんでしょ」
亜紀が箸を手に、エリスをきっと睨んだ。
「本当にすごいことなら、祐也くんの命を縮めないで願いを叶えてよ。キスもしちゃダメ」
「なにごともギブ・アンド・テイクですぅ。それに、エリスはご主人さまとはちゃーんと契約書を交わしているですからぁ」
悪びれることなく、ニッコリとエリスは答える。
「あんなの契約なものですか。詐欺よ、インチキよ。私は認めないわよ」
エリスとの契約。契約書。詐欺。
(確かに、詐欺っちゃ詐欺だよなぁ……。とはいえ、エリスが悪いとも言い切れないとこが微妙なとこなんだよなぁ……)
ずずずっと、しじみの味噌汁をすすりながらオレは思い出す。
そう。すでにオレはエリスと二回キスしてしまっているから、千日×二回で二千日、すなわち五年と百七十五日分の命が縮んでしまっているのだ。
いったい、なんで、そんな契約をしちゃったのかって?
「それはね、芳山くん。土曜日の放課後の理科室で、君がラベンダーに似た香りをかいでしまったから、じゃなくってぇ〜っ、すべては今から十三日前、日曜日の宍戸町公園でお前と亜紀ちゃんが素晴らしい発見をしたからじゃーろーが、祐也よ」
「って、親父。いつのまに!?」
「ほっほっほっ、一人称の小説だからって油断するではないぞ、我が息子よ」
「はぁっ? 何言ってんのか全然わかんねぇよ。だいたい、どっから出てきたんだよ」
「どこから出てきたじゃと。ほっほっほっ、いい質問じゃ、我が息子よ。これが洋画だったら『グーッド マイ サン』と銀河皇帝のごとき渋い声で返すとこじゃ。よいか、息子よ。映像でこんなことをしたら伏線がないだの何だのと叩かれまくるところじゃが、これはお前の、永井祐也という一人称視点での小説じゃ。つまりは、お前の視界の中で起きていることを、お前が語っているわけよ。わしはいきなり出てきたのではない。わしはわしで、お前の、お前たちの視界の外にずっと存在しておったのじゃ。これが一人称形式での語りならではのトリックなわけじゃ。わしはいた。ずっと食堂の片隅にいた。が、お前が気づかなかったので、お前は表現できなかった。どうじゃな、これでわしの存在の辻褄はあってしまうのじゃ。そしてまた、お前の一人称形式での地の文に対してリアクションするという、メタファーかつ、一般読者には掟破りとも思われるこうした手法すら「レ・ミゼラブル」や「贋金使い」という今から100年以上も前に使われているのよ。小説における手法など、19世紀までにすべて使い尽くされていることを覚えておくのだよ。息子よ。こんなのは新しくもなければ掟破りでもない。小説における古くからある手法の一つにすぎないのであーる。では、読者諸君、また会おう! え? 今、この時点での時間の関係はどうなっているって? 突然、出てきたんだから、何か他のキャラたちのリアクションがあってしかるべきだって? なに、わしが、『それはね』といって登場してきた瞬間から、物語世界の時間は止まっていると解釈すれば一発で解決さね。ほら、推理物なんかのドラマで、突然全員の動きが止まって、探偵だけにスポットライトがあたってテレビの向こうの視聴者に語りかけるシーンがあるじゃろ。あれじゃよ、あれ。では、これからも、ごくごく予定調和的なコミカルでありがちな物語とみせかけて、掟破りとも思えることをさせてもらうからな、わしは。ではではでは、出羽三山ってな! そいじゃ、ドロンします〜」
不敵に笑い、死語とともに親父は消えていった。
親父が消えるとともに、食堂にはさっきまでの和やかな雰囲気が戻ってきた。
止まっていた食堂の時計が、再び時を刻み始めた。
「だから、これ以上、祐也くんの命を縮めないでって言っているのよ」
「エリスに言われても困りますぅ。エリスはご主人さまの願いを叶えることが仕事ですからぁ」
亜紀とエリスは、まだ言い争っている。
(いったい、親父は何をしに出てきたんだ? ってか、今のって本当に現実だったの?)
まぁ、どっちでもいい。
なんとなく話の流れに腰を折られてしまった気もするが、気を取り直して続けよう。
オレがこんなふうに一つお城でみんなと暮らしているのも、二千日も命が縮んでしまったのも、エリスと亜紀が言い争っているのも、史奈が変な竹刀を振り回すのも、ちとせさんがここで毎日タダ飯を食べているのも、すべては十三日前の日曜日にエリスが甦ってしまったことが原因なのだ。
「次回に続くじゃ!」
あちゃーっ、また親父の声が。こんな終わり方ってありなのかよ〜。
「まぁ、『太陽の牙ダグラム』だって、第1話は本編の未来の時間のどこかを切ってもってきて、実際の本編上のストーリーとはちょっと違ってたりしてんだし、ありよ、あり。ありってことで、よろぴく。本編は2話からスタートだからね、みんな」
「って、ダグラムってなんだよ。意味わかんねーよ」
親父の声は、もう聞こえてくることはなかった。
やがて夕食の時間が終わった。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした〜」
メグちゃんと亜紀、それに史奈の3人が後片付けを始めた。
《第1話 おわり》
一学期の期末試験も終わり、まもなく夏休みにもなろうかという七月中旬、せっかくの日曜というのに、オレは朝も早い時間から亜紀に叩き起こされて、一緒に宍戸町立公園に向かって歩いていた。
「なんだって、せっかくの日曜日を商店会のボランティアなんかにつきあわされにゃならんのだ」
「仕方ないでしょ。祐也くんのお父さんは駅前商店会の会長。うちのお父さんは町長なんだから。私たちが率先して手伝わないと、お父さんたちも示しがつかないわ」
「あんなボロ城だぜ。直して観光名所にするなんて、無理ってか、無謀だろ」
「そうかしら。私は面白いと思うけど。宍戸城って戦国時代に建てられたんでしょ。もしかすると歴史的大発見とかあるかも」
「まさか。ないない。絶対ないね」
「あー、そんなこと言うんだ。じゃ、賭けてみる?」
「出ました、亜紀お得意の賭けが」
「そうよ。はい」
亜紀がニコッと笑って小指を立てる。
「賭けましょ、歴史的発見があるかどうか」
「おう。絶対ないぜ」
亜紀の小指に、オレは自分の小指を重ねる。
「はい、指切った。さぁ〜、何を奢ってもらおうかしら」
「こっちのセリフだっつの」
笑って言葉を返すオレ。
まぁ、幼稚園の頃からのお約束ごとってやつだ、オレたちの間の指切りは。数えてないけど、何千回にはなるはずだ。勝率はどうだろう。まぁ、イーブンというところじゃないのかな。
亜紀のフルネームは美原亜紀。
幼稚園から始まって、小学校、中学校、高校とずっと同じクラスだったりする。その昔はオレの方が勉強も運動も上だったのに、中学の頃には、全部亜紀に抜かれてしまっている。今や、オレが亜紀に勝てるのはゲームぐらいのもんだ。美人で賢くて、スポーツ万能の亜紀は男子に人気がある。だけど、そういうことには興味がないのか、今も幼稚園の時から変わらず、朝が苦手なオレの家に迎えに来て、たたき起こすところから始まって、それから帰りも一緒。よく周りの連中から、お前たちはつきあっているのかと聞かれるが、オレとしちゃ返事のしようがない。それぐらい、一緒にいるのが自然なわけで……。
「でも、ほんとに、何か発見あったらすごいんだけどなぁ」
「宍戸町だぜ、あるわけないって」
「だから、あってほしいんじゃない」
亜紀の気持ちもわからないでもない。
オレたちが生まれ育った宍戸町は、関東にあるごくごく小さな町だ。別に何か町ならではの名所や名物があるわけでもないし、郷土史なんてのを調べても、とりたてて何の記録も言い伝えもない。おまけに本数こそ少ないものの、急行電車に乗れば一時間ちょっとで東京にも買い物に出られるし、山を二つ越えた町には激安ショッピングモールなんかも出来て、みんな、車で買い物に行っちゃうから、駅前の商店街は寂れる一方だ。
町長は亜紀の親父だし、寂れた商店街の商店会長はオレの親父だから、そりゃ、何か大発見でもあって、昔みたいに町が活気を取り戻してくれればいいとはオレだって思うさ。
このままじゃ、町そのものがゴーストタウンになりかねないってことで、なんとか町に活気を取り戻すべく、町と商店会が生き残りをかけて始めたのが、唯一、観光資源になりそうな宍戸城の再生プロジェクトだ。
穴戸町公園の片隅に残された荒れ城を町民全員で修繕して、そこを町の観光の目玉にしようというのだ。提案したのはオレの親父と、亜紀の親父。商店会長と町長の子供としては、亜紀の言うように率先して手伝わざるをえないわけで。とはいうものの、せっかくの休みをこんなことに使うってのも、なんかなぁ。
「お兄ちゃん、亜紀お姉ちゃん!」
宍戸町公園に着くと、エプロン姿のメグちゃんがオレたちを見つけて手を振っていた。
橋下メグ。十四歳。中学二年生。オレにとって義理の妹にあたる。
今から五年前、メグちゃんの姉とオレの兄貴が結婚したのだ。まぁ、二人とも幼なじみで、そのまま付き合って結婚したというか。なので、メグちゃんとは血は繋がってなくても、オレは彼女が生まれた時からずっと妹みたいに思ってきた。ちなみに兄貴夫婦は兄貴の仕事の都合で今はシカゴにいる。
「メグちゃんも手伝いにきたの?」
亜紀が言うと、
「はい。メグは、お食事のお手伝いです」
「あー、そういや、終わったら豚汁作って食べさせるとか言ってたな。じゃ、メグちゃんが作ってくれるんだ」
「メグとお父さんたちで作ります」
「そっか、楽しみだな、そりゃ」
中学生になってから、毎日、メグちゃんはお父さんがやっている橋下食堂を手伝ってい
る。ちなみに、メグちゃんの料理の腕前はというと、テレビの小学生創作料理大会で優勝したこともあるほどで、正直、今の橋下食堂の繁盛ぶりはメグちゃんのオリジナルレシピのおかげといっていい。
「お兄ちゃんに期待されると、メグ、なんだかとっても……緊張します。でも、……お兄ちゃんに喜んでもらえるよう、精一杯頑張ります」
顔を赤くして、うつむき加減にメグちゃんが言った。
メグちゃんの作る豚汁がおいしくないはずがない。ああ、なのに、なんて謙虚なんだろう。オレは、そんな義理の妹が好きだ、好きだ。大好きだ。そして、メグちゃんの作る料理はもっと大好きだ。たとえ、オレの嫌いなピーマンがどっさり入っていようと、メグちゃんの作るものなら、何でも美味しく感じられる。いや、本当に美味しいのだ。
「じゃあ、メグちゃん、また後でね」
「豚汁、楽しみにしてるよ」
「はい。メグ、腕によりをかけて作りますから」
ってなわけで、オレと亜紀は、メグちゃんレシピの特製豚汁を楽しみにしつつ、宍戸城修繕ボランティアとして、現場へと赴いた。
「おはよう、祐也さん、亜紀さん」
受付にいたのは、蛍さんだった。
名前を夕月蛍。元々は宍戸町の出身で、東京の大学を出て、大会社で秘書をやっていたのを退職して、宍戸町役場の観光課で仕事をしている。観光課の仕事は、宍戸町の名産や名物を全国に紹介することだ。仕事がら、商店会長の親父を訪ねてオレの家に寄ることも多い。
「じゃあ、あなたたちはお掃除班だから、これね。ホウキとハタキ。それからちりとりとゴミ袋。それからホコリよけのマスク。昔のお城だから、不燃ゴミはないと思うけど、もしあったら、可燃ゴミと分別してちょうだいね」
役場の地味な制服を着て、両腕には黒い腕抜きをつけた蛍さんは、おとなしそうな外見に似合わず、仕事は正確で手際がよいと評判だ。二十年後には宍戸町の町長は蛍さんで決まりだとも囁かれている。言っているのは、主にオレの親父だけど。もっとも、こんな貧乏な町の町長に、蛍さんがなるとはオレにはとうてい思えない。
宍戸城お掃除セットを持ったオレと亜紀はボロ城の入口に向かう。
親父たち商店会の役員や町の議員に、職員たちが、すでにボロ城の前にいて、今日の段取りを説明していた。要するにオレたちが掃除したそばからどんどん修繕していくというだけの話だ。にしても、オレたちが小さな頃から妖怪城ともお化け城とも地元のみんなが言ってる荒れ城を修繕して、観光名所にするだなんて、どう考えても無謀としか思えない。
そんな個人的な感想を別に、オレたちはくもの巣を払いながら、城の中へ入っていく。
崩れかけた壁や、穴だらけの天井、床はほこりだらけで、足の踏み場もない。城というと聞こえはいいが、だだっ広い廃墟というか。いっそ、城ごと解体して、建て直しゃいいのにとは思うが、貧乏な町にそんなお金があるわけもないのはすでに百も承知だ。
「ここから先が、あたしたちの受け持ちよ」
「しっかし、こりゃ、掃除とか修理とか以前じゃねーのか」
「あら、千里の道も一歩からって言うじゃない。それに、これだけ荒れ果てているってことは、お宝発見のチャンスかもよ。宝探しのつもりで頑張りましょう」
「いつもながら亜紀はポジティブだね、ほんと」
「はーい、ありがとうございまーす。じゃ、始めましょう」
「はいはい、わかりましたよ」
「素直でよろしい」
「ははっ」
ってなわけで、まずは掃除だ。さっそく、オレたちは作業を開始した。
「じゃ、あの端から行きましょ」
「おお、いいぜ」
オレはホウキ。亜紀はハタキ。とにかく、ホコリを払っていくところから開始だ。
亜紀とオレはマスクをつけて掃除をスタートさせた。
…
………
…………………
「ねっ、ちょっと休憩しよっか」
「待ってました、その言葉」
オレたちは、外の風が入ってくる窓際で足元の確かな場所を見つけて、そこでマスクを脱いで、ホッと一息ついた。
「あーっ、疲れたよ、もう」
掃除すれどもすれども、全然きれいになんかならない。
「やっぱり、一日じゃ、どうにもならないかもね」
真面目な亜紀も、さすがに、ため息をついていた。
「気長に、コツコツやっていくしかないわね」
って、おいおいマジかよ。休みのたびにずっと続けるってか。ひーっ、勘弁してくれよ、そんなの。今日だけで十分だろ、こんなことは。
「ねっ、祐也くん」
「ん? どうした」
「見て。あそこにあるの何かしら」
「何って、なんだよ?」
「ほら、あれよ、あれ。わかんないかな」
近づいていく亜紀。まるで、漬物石のように大きな卵型の石が転がっている。
「この石。なんか変じゃない?」
「ただの石だろ」
「来て、祐也くん。石にお札が貼ってあるの。ねっ、来てってたら、早く」
亜紀がオレを呼ぶ。
「しょぅがねーなーっ、何だって」
言われるがまま、石の前でしゃがんでる亜紀の隣で、オレもしゃがむ。
「なんか、すごくない。このお札」
「どれどれ」
石を見る。確かに、神社にあるようなお札が貼られている。完全に煤けていて、文字もはっきりとは読めない。とにかく、かなりの年代物っぽいことは確かだ。
「やった、これで賭けは私の勝ちね」
「これが大発見ねーっ。オレにはただの漬物石にしか見えないけどな」
半信半疑のまま、オレは大きな石を指で撫で回してみる。指先が古めかしいお札に触れた。と、感電したみたいにビリッときた。
「うわっ」
「どうしたの、祐也くん」
「いや、急にビリッときて」
「ねっ、見て!? 」
亜紀がオレの言葉をさえぎった。
「!?」
目の前で、貼られたお札が青い炎をあげて消えていく。と、同時に石は赤い光を放ち、どくんどくんと生きているかのような鼓動を始めた。
「どっ、どうなってんだ、これ。うわっ!?」
「きゃっ!?」
あたりが、目もくらむほどの強い光に包まれた。
後から聞いた話では、光は荒れ城の隙間という隙間から外に広がって、来ていたみんなは何か爆発でもあったかと思うほどの勢いだったそうだ。
「ダンケ シェーン」
可愛らしい声とともに、オレと亜紀の前に黒色のメイド服を身にまとった、アイドル顔の美少女が立っていた。頭にある、赤い蝙蝠に似た鳥の形の冠というか、髪飾りがエキセントリックで、これって、なんかのコスプレ?
「……だっ、誰、あなた!?」
亜紀が驚きの声を上げた、
メイド服の美少女は、きょろきょろしたかと思うと、やがて納得したように、
「ダス ラント、ヤーパン! ……ここ日本ね。そっか、あの女陰陽師に私、ここで封じられたのでした。藤宮ちとせいいました、今度あったら、ただじゃおかないですぅ。このお返しは必ずしてやるですぅ。あー、自由って最高〜、エリス、嬉しいですぅ」
メイド服の子が、思いっきり両腕を上げて、大きな伸びをする。
よく見ると、背中に小さな翼がある。なんなんだ、この子は!?
「封じられていた? 自由?」
「はい〜。おかげさまで、ようやく解放されましたぁ」
どういう意味だ?
と、どたどたって足音が!
オレの親父に、亜紀の親父、それにメグちゃん、蛍さん、さらには商店会のみんなが、さっきの光に何事かと走ってきたのだ。
「祐也、どうした。何があったんじゃ。大丈夫か」と親父。
「亜紀、おー、無事でしたか、よかった」と亜紀の親父さん。
「お兄ちゃん、亜紀おネエちゃん、どうしたの」と、メグちゃん。
「あの光、祐也さん、亜紀さん。いったい何があったのです」と蛍さん。
「あ、いや、その……」
「……ですから」
言葉に詰まるオレと亜紀。
ってか、こっちが聞きたいっつーの。何がどうなってんだよ、いったい。
「ところで、祐也。誰じゃね、このお嬢さんは?」
「誰って、オレに聞かれても……」
いきなり目の前に現れたわけで、正直、説明のしようがない。
「すみませーん、今、西暦で何年ですぅ?」
オレたちの当惑を気にすることなく、メイド服の子が言うと、亜紀が答える。
「2006年よ」
「ってことはぁ、確かエリス、1868年に封じられたから、あれから138年ですか」
「……あなた、誰?」
亜紀が恐る恐る、メイド服の子に尋ねる。
「は? エリスのことですか? 」
その場にいた全員がうなずく。
「えっとですね。エリスは契約したご主人さまのの願いを13個叶える魔女なのですぅ」
たちまち、あたりは爆笑に包まれた。
「あっはっはっ、聞いたか、さとっち」
「わっはっはっ、聞かいでか、ひろっちよ
「うける」
「超うける」
「宍戸町立高校アニメ&ゲーム同好会で自主アニメを作った頃を思いだすの」
「晴海で同人誌作って売ってた頃が、甦るかのようですなぁ」
オレの親父と、亜紀の親父が熱狂的にウケている。
「あの〜、何かおかしなこと言いましたですかぁ、エリス?」
首を傾げる魔女に 笑いながらオレの親父が言った。
「いやいやいや、魔法少女ではなく、魔女ときたということでな」
「は?」
エリスは意味がわからず、ぽかんとした顔をする。
「いい、いい。実にいいリアクション。天然系と見た。なんとか星から来たって言ってるアイドルみたくて、きてますな、実にきてる」
さとっちことオレの親父、永井聡が言うと、
「ってことは、エリスさん。あなた、魔女というからには、当然、ホウキとかステッキとか、お約束のアイテムは何かお持ちなのでしょうな」
ひろっちこと、宍戸町長の美原博志が言葉を続ける。
「はいです。もちろんですぅ」
いつのまにかエリスはステッキを手にしていた。
「おおっ!?」
まるで手品のように出現の仕方に、みんながどよめく。
「サタンの杖といいますぅ」
「サタンの爪にあらず、サタンの杖ときましたか。やりますな」
「そーいや、女マジシャンの魔法少女物って、昔あったの」
「それは、エミという女の子が主人公の!」
「おーっ、あったあった、懐かちぃ〜」
勝手に盛り上がっている、さとっち&ひろっち。
「が、しかし、杖の一本ぐらいでは、お嬢さんが魔法少女、いや魔女であるとは、まだまだ認めるわけにはいかんの」
「その通り。今時、ただのコスプレイヤーでも、これぐらいならできますからな」
「コスプレ、イヤー? ですか? エリス、初めて聞く言葉ですぅ」
親父たちの言葉にエリスはきょとんとしている。
「わしらとしては、あんたの言うことを信じたい。ひっじょーに信じたい。なんつーか、ほんとにラピュタはあったんだってなくらい信じたい。どうかね。一つサタンの杖で、わしらが今いる城を新品にして、すぐ人が住めるようにできんかね? そしたら、ここにいる誰もがあんたが魔女だってすぐに信じてくれると思うが」
ニヤリと、さとっちが笑う。
「簡単ですぅ。でもでも、エリスに命令できるのは、ご主人さまだけなのですぅ」
エリスが杖を振るうと、突然、ポンと動物の皮らしき用紙が、手品みたいに現れた。見た事もない文字という記号がぎっしりと書き記されている。しかも、それは空中に浮いているのだ。誰もがピアノ線はどこだと探したのは間違いない。
「ではでは、こちらの契約書にサイン、もしくは印鑑を押して、エリスのご主人さまになってくださぁーい。そうすれば、もれなく13個の願いを叶えてさしあげます。ただし、すべての願いを叶えた後は、ご主人さまの魂は地獄の業火に焼かれ、この世のものとは思えないほどの苦しみを永遠に、そうです、世界が天使と悪魔の最終戦争によって完全に滅び去った後も、ずっとずっと受けつづけることになります〜。でも、生きている間が楽しければ、永遠に続く苦しみなんて、どうってことないですよねぇ〜」
ニコニコと天然な口調ではあるが、その響きには人間離れした凄みがあった。
「さ、どなたがエリスのご主人さまになってくれるですかぁ」
さっきまでの笑いは引き、あたりは重い沈黙に包まれた。
「いないですかぁ。いないならエリス、他の町に行って新しいご主人さまを見つけるですぅ」
エリスが背中の翼を大きく広げ、今にも羽ばたこうとした瞬間だった。
「……印鑑でいいんじゃな」
沈黙を破って、オレの親父が言った。
「はいですぅ」
「って、親父、マジかよ」
「大マジじゃ、魔法少女ばんざいさぁ〜、はぁ、ゆいゆい」
なんで、途中から沖縄なまりになる、親父よ?
「待てよ、親父。なんかヤバイぞ、絶対」
心配になって耳打ちすると、
「くっくっくっ、なにをびびっておる、我が息子よ。なーに、どうせ、どうせこんなのドッキリよ、テレビのドッキリ企画に決まっておろうが。となりゃ、だまされたふりして、そのまま番組企画に乗っかってじゃ、東京のテレビ局の金で宍戸城をリフォームさせてやるまで。これこそが大人の知恵よ。よいか、最後に笑うのは、このわしじゃ」
自信りげに小声で言うと、親父はエリスの前に出る。
「では、この印鑑で契約しよう」
「はいですぅ。わっかりました〜。ではではでは、さっそく契約の儀式に入るですぅ。来たれ、おぞましき魔界の審問官ども! 汝らの立会いのもと、絶対の契約を今ここに、この場にて交わす!」
威厳に満ちた響きでエリスが叫ぶと、突然、明るかった空が闇に包まれた。
闇の中にグロテスクとも言うべき巨大な眼球が、耳が、口が浮かぶ。
「なっ、なんなの、いったい!?」
蛍さんが声を上げた。
「魔界の契約を司る、真理の目と耳と口ですぅ」
誰もが腰を抜かすほど驚いた。もし、これがテレビの番組だとしたら、ハリウッド映画もびっくりの予算がかかっているに違いない。ってか、ありえない。こんなデカイ造形物なんか、誰が作れるもんかよ!? 親父も、亜紀も、蛍さんも、みんな青ざめて凍りついている。
「うぉぉぉぉぉぉーーーーん」
闇のかなたから、犬とも狼ともつかぬ獣の咆哮が轟いてきた。
「魔界の門を守る番犬ケルベロスたちの雄たけびですぅ。好きな食べ物は生きた人間の内臓。お腹すかせると、時々人間界に来てガブッとやっちゃったりしますから、満月の夜の一人歩きには気をつけるですぅ」
「お、親父!?」
いいのか、大丈夫なのか、親父。マジでヤバくないか?
親父は硬い表情で振り返ると、オレの目を見つめ、
「……祐也、後のことは頼んだぞ」
「……親父、ウソだろ」
「すまんの。すまんな、祐也よ」
「……親父」
「今さら、びびって契約をやめたとあっては、わしの男がすたる。お前にはすまないが、本当にすまない話だが、わしはわしの漢と書いて男と読むという生き方を、ここは通させてもらう。おまえには、これから不自由をかけるが、わしのわがままを許してくれ」
真顔で親父は言った。そこまで言われてしまっては、息子のオレはもう何も言うことはできなかった。
「さらばだ、息子よ。マイサンよ」
(……親父)
オレには親父の後姿を見送ることしかできなかった。
「準備完了ですぅ。さぁ、印鑑を押すですぅ」
「うむ」
頷く親父。
誰もが親父の姿を固唾をのんで見守っていた。いったい、これから先、何が、どんなことが起きるというのか。親父はどうなってしまうのか。
宙に浮かぶ契約書に、手にした印鑑を向けるや、親父は見守る全員に向かって言った。
「宍戸町商店会、および、宍戸町に栄光あれ! などと太陽系方面作戦司令長官が、自爆装置のスイッチを押すかのごとく押す、わし〜!」
何言ってっか意味不明だけど、いいのか、親父。これで本当にいいのか!?
親父が契約書に印鑑を押した。
と同時に巨大な眼球から赤黒い、まるで血のような色の光がサーチライトみたいに契約書を照らした。明かりをあてているのではない。おそらくは、印鑑を照合しているのだ。赤黒い光の中には、見たこともない不思議な文字や図形が行ったり来たりしている。その文字は、隣にいる巨大な耳の中に、まるで音の洪水のように流し込まれていく。しばらくの間、目と耳との間で、光と記号のやりとりが続けられた。
「データのやりとりをしているみたいだわ」
ポツリと蛍さんが言った。
「なるほど、言われてみれば確かに」
町長が頷いた。
だが、そんなことは今のオレにはどうでもいい。親父だ。親父の命だ。いったい、親父はこのあと、どうなっちまうんだ。
「大丈夫よ、願いごとを言わないかぎり命は縮まないって言ってたもの」
亜紀が、オレの手を握って言った。
「ああ、そうだな」
そう返事はしたものの、実の親のことだ。ふだんは喧嘩ばっかりだが、いざこうなると、オレも弱い。さっきから不安でたまらないのだ。オレは亜紀の手を握り返した。まるでオレの不安な気持ちを見越しているかのように、亜紀は力強く握り返してきた。
(亜紀、ありがとう)
亜紀の顔を見ることなく、胸の内でオレはつぶやいた。
ほんの少しだが、不安は薄らいだ。
やがて、巨大な口が不気味な響きの言葉を発した。日本語だ。
「この契約を魔界は認める。下級魔女エリスは永井祐也を主と仕えよ」
「はぁっ!?」
オレは自分の耳を疑った。
「祐也くん、今、祐也くんの名前が……」
「なんでだよ、なんでオレの名前なんだよ。ちょっ、ちょっと待てよ」
相手が魔界のなんとかだとか、不気味ななりをしているとか、今のオレには関係ない。そんなことより、オレは自分の名前が出たということに驚き、慌てていた。間違いだ。あいつら、間違ってる。
が、口は、それ以上は何も発することなく消え、眼球も耳も口も消えてしまった。
世界は以前の輝きを取り戻した。
「はい。契約成立ですぅ。新しいご主人さまぁ、これからエリスをよろしくですぅ」
エリスがオレに抱きついてくる。
「って、なんでオレなんだよ。おかしいだろ。契約したのは親父じゃねーか」
「うむ。確かに契約書に捺印したのはわしじゃ。が、押したのは、お前の実印なのじゃ〜」
「は? オレの実印? って、なんでだよ!?」
「いやーっ。すごいもんじゃの、魔界の審問官とは。たちどころに祐也の実印とわかってしまうんじゃからな」
「はい〜、それはもう。この世とあの世のすべてを知る者たちですからぁ、なんでもわかっちゃうんですねぇ」
「じゃなくて、なんで、オレの印鑑使うんだっつの」
「じゃから、後のことは頼んだざって言ったじゃろが。すまんって、不自由かけるって、ちゃんともろもろお前に謝ったじゃろうに」
「あ!?」
確かに、捺印する時、親父はそんなことを言っていた。
「まったく、親の心、子知らずというか、困ったもんじゃわい」
「ありかよ、そんなの!!」
「いやー、なんかイヤな予感してな。もしものことを考えて、お前の実印使ってみたんじゃよ。野生の勘が当たったの」
「冗談じゃない。オレはどうなるんだよ」
「まぁまぁ、いいではないか。もし、ほんとだったとしても13個の願いを叶えなきゃ魂もとられまいに。1回ぐらいなら、どうってこともあるまい。ささ、祐也。町のために、この城のリフォームを頼んでくれ。小遣いも弾むぞ、ほれほれ」
親父が、こっそりと一万円札をオレに握らせる。
正直、金欠のオレには一万円は大きな魅力であった。
「ったく、しょーがねぇなぁ。……じゃあ、一回だけだぞ」
「さすが、我が息子。物分りがよい。取引成立じゃな」
みんなに見えないように一万円をポケットに入れて、オレはエリスに言う。
「他ならぬオレの親父の頼みだ。宍戸城を昔の姿に戻してくれ。いいな?」
「はいですぅ。わっかりましたぁーっ。でもでも、願いを叶えるためには、ご主人さまとのキッスが必要なのですぅ」
「き、キッスですって〜!?」
「はい〜」
「なんで、どうしてよ。どうしてキスが必要なのよ」
亜紀が冗談じゃないという顔をする。
「エリスに言われても困りますぅ。いにしえの時代から、契約書にはそう記されていて、それをエリスは守っているだけですぅ」
と、言われたところで、オレたちには読めない文字で書かれているのだ。内容なんて、わかるはずもない。
「まぁ、番組的に考えると、そういうもんじゃろ」
まだ、そんなことを言うか、このクソ親父。
「冗談じゃない、キスなんてできるかよ。帰るぞ、オレは」
「今さら、それはあるまいて、帰すな、祐也を!」
憤然と立ち去ろうとするオレは、親父の号令のもと、一瞬にして町のみんなに押さえられた。その中には、ひろっちこと亜紀の親父さんもいた。
「お父さん、やめて」
「亜紀、気持ちはわかります。が、しかし、これも町長の給料分の仕事なのです」
「ちょっ、ちょっと待てよ。オレはキスなんて」
「おいおい。高校生がキスごときに照れてどうするんじゃ。ああん?」
「うっせー、余計なお世話だ!」
「そうよ、私だってまだなのに、ひどいわ、そんなの」
「そうですか、まだでしたか」
頷く亜紀の親父さんに、
「ああああ、私ったらなんてことを。あーいや、恥ずかしい、はしたない。あー、もう、いや〜」
「まぁまぁまぁ、亜紀、祐也くん。これはキスではなく、唇と唇が接触するだけと思うのです」
「うむ。映画の撮影だと思えばノーカウントも同然じゃ」と、親父。
「って、割り切れるわけねーだろ」
「えーい、いいから観念せい、息子よ」
強引に押さえつけられて、オレはエリスの前に突き出された。
「さぁー、エリスちゃん。後は頼みましたよ」
エリスが両手をオレの頬にそえ、唇を近づけてくる。
「いやーっ、だめぇ、祐也くんっ!」
亜紀の叫ぶ声が聞こえる。
ああ、エリスの唇がどんどん、オレの唇に……。
「だめぇぇぇっ!?」
エリスの桃色の唇が触れた。とろけるように柔らかい感触に、オレは、全身の力が抜けていくのを感じた。それは、まるで。夢心地ともいうような、安らかさ。ああ、キスとはなんと気持ちがいいものなのだろう。もう、何でもいい。ずっと、このままでいたいと思うほどだった。
「祐也くんの、バカ、バカ、ばかぁぁぁっ」
亜紀のすすり泣きが聞こえてくる。ああ、許せ、亜紀。これは事故だ、事故なんだ。事故ってことで……、よ……ろ、……ぴく……。
柔らかな感触が去った。唇が、エリスの唇が離れたのだ。
その瞬間、オレは、いや、その場の全員が見た。エリスの体が輝いたかと思うや、背中の黒い翼が大きく開き、サタンの杖が不思議な魔方陣が空中に描き出すのを。
「ま、まじかよ!?」
誰もが息をのんだ。
「我が主が願い、しもべたる我がかなえたもう。今一度唱えよ、願いを!」
エリスの目がオレを見つめる。
さっきまでのアイドル顔の美少女とは思えない、威厳に包まれていた。
親父たちが見守っている。わかってるよ、言やいいんだろ、言や。
「今、オレたちがいる城を、建った頃のような新品にしてくれ!」
「この世の理を司る闇の賢者、アザトス、クノーシズ、ダイモン、ディアボロスよ、契約に基づき、我が主が願い、聞き届けたもれ!」
サタンの杖を手にエリスが叫んだ。呼応するかのように、雷が落ちたかのような衝撃と光に辺りが包まれた。目がくらむ。エリスが出現した時と同じだ。
次の瞬間、オレたちは絢爛豪華たるお城にいた。
誰もが驚きに目を見張った。
「これが、昔の宍戸城なの!?」
亜紀が信じられないという顔をした。亜紀だけではない。どこぞの時代劇テーマパークも驚くほどの、新品そのものの城にオレたちはいた。ゴミもホコリもなく、木の香りの漂う宍戸城にいるのだ。誰もが信じられない思いだった。どう考えたって、テレビのドッキリ番組にも、リフォーム番組にも、ここまでやれるとは思えない。
「じゃ、エリス。お前、本当に魔女だってか」
「ご主人さまぁ、エリスを信じていただけてなかったのですかぁ、うるるん、るんるん、悲しいですぅーっ。でも、今、ようやく信じてもらえて嬉しいですぅ。はい。エリスは正真正銘、魔界の下級魔女ですぅ。ご主人さまの千日の命と引き換えに、どんな願いも叶えることができるのですう。あ、でも、不老不死とか、願いの数を増やすとか、そういう禁止条項は契約書のここに記されてますから、それを除いた範囲となりますけど」
「ちょっと待て、今なんって言った。千日の命ってなんだ!? 聞いてないぞ、そんなの!!」
「はい、言ってないですぅ。でも、契約書には記されてますです、ご主人さまぁ。ほら、ここです、ここ。ここですぅ」
エリスが契約書を差し出して、オレに見せる。
「納得していただけましたかぁ」
「親父ぃ〜」
オレは親父をにらむ。親父は聞こえてないふりをして、
「素晴らしい、ムスカくん。じゃなくって、エリスくん。エリスちゃん、エリスっち。新たなるこの町の伝説の誕生じゃ。おっと、わしは、君の主の父じゃ。いわば、主の主、すなわちマスター・オブ・マスターってわけだ。祐也。だからお前はアホなのじゃ〜って。それはマスター・オブ・アジア」
「そうきましたか、さとっち。ナイスですな、あっはっはっ」
「いやいやいや、サンキュー、ひろっち。あっはっはのはっ」
「町長の私からもお願いする。ぜひぜひ、エリスくん。エリスちゃん、エリスっちには、ずっとこの町にとどまっていただきたい。よろしいかな、エリスちゃん」
「ほんとですかぁ。だとしたら、エリス、とってもとってもうれしいですぅ!?」
ぴょんぴょんとエリスは飛び上がって喜んでいる。
その姿を横目に見ながら、亜紀の親父は言う。
「町長として、今、ここに臨時町議会を召集する。えーと、規定の議員数はそろってるかな、夕月くん」
「ええ、大丈夫です。そろってます、町長」
蛍さんがカウントした上で頷く。
「あとは、この場で議決するだけです」
「よっしゃーっ。ならば、夕月くん。記録をとってくれたまえ。よろしいな」
「デジカムがあります。これで臨時議会のすべてを記録します」
「さすが、夕月くん。いつもながら手際がよろしい。では、臨時町議会を開催します。議案はエリスちゃんの宍戸町観光大使に任命人事であります。お集まりの町会議員の皆さん、賛成の方は挙手を」
「異議なーし!」
「全員挙手です。本件議案は議会によって可決されました、町長」と蛍さん。
「では、本件議案は可決されました。宍戸町ばんざーい!」
「宍戸町ばんざーい!」
議員たち全員が万歳三唱を始めた。
「というわけで、エリスちゃん」
「はいですぅ〜」
エリスが頷く。
「宍戸町はこれから君とともに歩んでいきます。いやいやいや、君に人間界の戸籍があるのなら、次期町長は君にやってもらいたいほどですよ」
商店会長の親父と、町長の亜紀の親父さんがエリスに握手を求める。いつのまにか、エリスを中心に親父たちが記念写真をとっている。おいおい、どういうことだよ。
「はーい、じゃ、エリスちゃん。せっかくだから、いろいろポーズお願いしまーす」
「こっちにも目線くださーい」
「はいですぅ」
まるで、エリスの撮影会だ。
「エリス、こんな歓迎されたの初めてですぅ。嬉しいですぅ。これから頑張りますぅ」
まるでグラビアアイドルのように、エリスは注文に応じてポーズをとっている。
「アイドルじゃ、エリスっちには、我が町のアイドル、そう、アイドル魔女になっていただく。アイドル魔女エリスじゃ!」
「アイドル魔女エリス、いい響きですよ、さとっち。彼女の肖像権は我が町が管理し、町だけの限定グッズを販売いたしますか」
「地域限定アイドル! ああ、ひろっち。それっすよ。それにごわす」
「アイドル、ららら、それが我らが求める、町の救世主〜♪」
二人の中年親父は手に手をとって踊りだす。そして、
「時代は、町はアイドルを求めておる。ふっふっふっ、現代に甦った戦国時代の城・宍戸城、そして、封印されていた可愛いアイドル魔女エリス。そして、いずれ命を奪われてしまういたいけな少年・永井祐也。ああ、いったい、彼の命は、いつ尽きるのか。おー、クイズもいいな。祐也の寿命あてクイズとか」
「呼べる、呼べる、呼べますぞ、お客もマスコミも確実に呼べますぞ、さとっち。そうだ、そうだ。夕月くん、カムヒア〜」
「はい、町長。ここに。いかがしましたか」
「おー、夕月くん。聞きたまえ。いいかね。いいね。エリスちゃんは、わが町の貴重な観光資源だとは思わんかね」
「はい。それは、もう」
「よろしい。となれば管轄はもちろん観光課。ということで、今後エリスちゃんのマネージメントの一切、それから甦った宍戸城も君に任せる。いいね、夕月くん。頼んだよ」
「それはかまいませんが、その場合の私の権限と役職はどのように? 今の臨時雇いのままでは、町長の期待するだけの重責を私が荷えるとは思えませんが……」
「んー、確かに、そうかもしれませんね。では、こうしましょう。夕月くんには、観光課の係長という辞令を明日の朝一番で交付しましょう。その上で、成果を上げていただければ、すぐにでも課長の席を用意します。それでいかがですか?」
「承知いたしました。町長、私、偉くなりたいわけではないです。ただ、自身の職責をきちんと負える環境が欲しいだけなのです。……ですから、不肖、夕月蛍。宍戸町の発展のため、力の限り頑張ります。エリスちゃん、これから私と一緒に頑張りましょうね」
蛍さんが、エリスに握手を求めると、エリスは、
「はいです、エリス頑張りますですぅ。よろしくお願いしますですぅ〜」
蛍さんの手をとって言った。
エリスと蛍さんが、ガッチリ握手ょした。
周囲のみんなが、拍手はした。
「おーし、乾杯じゃ、乾杯。酒持ってこーい、ジュース持ってこーい。乾き物持ってこーいってな。商店会長のわしが許す。無礼講じゃ、橋下食堂特製の豚汁を肴に、宍戸町再生を祝っての宴じゃ、宴。エリスちゃん万歳の、宍戸城復活記念祭じゃ〜」
はしゃぐ、はしゃぐ、大人たちははしゃぎまくっている。
そんな中でオレは見た。町のみんなが、喜びの声を上げている中で、ぽろぽろと大粒の涙を流して泣いている女の子の姿を。
(……亜紀)
泣いていた。亜紀は一人で泣いていた。
オレは人ごみをかきわけながら亜紀のもとへと駆け寄った。
「亜紀。どうした」
「……祐也くん」
「ごめんな、亜紀。こんなことになっちまって」
それは、偽ることないオレの本音だった。
オレが悪いとか、誰が悪いとかではない。こんなことになってしまって、亜紀が傷ついていることがオレには問題なのだ。
「ううん。祐也くんは悪くない。全部、私のせい。私が悪いの。ごめんね、ごめんね、ごめんね。私が、あんなもの見つけたから、こんなことに……」
あくまで亜紀は自分を責める。
「泣くな、泣くなって亜紀。別に亜紀のせいじゃないんだから」
「でも、でも、願いが1つ叶ったから、祐也くん、千日も命が縮んじゃったんでしょ……」
「大丈夫だって、オレは。だから、お前は気にすんなって」
「お兄ちゃんの生命線はとっても長いです。前に占った時に見ました。だから大丈夫です」
メグちゃんが、亜紀にハンカチを渡しながら言う。
「そうそう、メグちゃんの言う通りさ。千日くらいどうってことないって、二年とちょっとだろ。オレは70歳までピンピンしてるって、メグちゃんが前に占いで言ってたろ。ほら、亜紀は見たことあんだろ、オレの手相」
「うん」
「長かっただろ、生命線」
「うん」
ハンカチで涙をぬぐいながら、亜紀がコクリとうなずく。
「だからさ、全然平気だって」
オレは亜紀に手相を見せる。
「なっ、長いだろ」
「うん」
ようやく、亜紀の涙が止まった。
と、その時だった。
「祐也くん、手っ、手が……!?」
「手? って、あっ、うわっ、わっ!?」
オレの手が左手が、赤く光っている。熱くはない。ただ、手の平が痒い。猛烈に痒い。
「なんじゃ、こりゃあ〜っ!」
左手が突然巨大化したかと思うと、生命線が、まるで電気のケーブルのように、びよよよよーんと空に向かって浮かびあがって、伸びた。と、どこからともなく巨大なハサミをかついだ黒衣のドクロが現れ、ニヤリと笑う。
「なっ、なんなんだ、このガイコツ!?」
「死神ですぅ。ご主人さまの命を千日分カットしにきましたぁ」
「マジに?」
「マジに、ですぅ」
死神がパッチ〜ンという大きな音をたてて、大きなハサミでオレの生命線を切った。
切られた生命線が煙のように消え、手は元に戻った。
「あーっ、お兄ちゃんの手相、生命線が短くなってます」
「あ〜、なんだか、オレ。めまいしてきた」
身体中から力が抜けて、ナマコかクラゲにでもなったみたいだ。
なんだか。どっと疲れた。身体に力が入らない。
「どうしたの、祐也くん!?」
「お兄ちゃん!」
あれ、あれあれ〜、このままオレって死んじゃうのかなぁ。ウソだろ。まだ死にたくないぞ、冗談じゃないぞぉ……。
「祐也くん、祐也くん!」
「お兄ちゃん!」
亜紀とメグちゃんの呼ぶ声が、どんどん遠ざかっていく……。
「……うっ、う〜ん」
目が覚めた時、オレが最初に見たのは亜紀とメグちゃんの心配そうな顔だった。
「よかった、祐也くんが目を覚ましてくれて」
「メグ、ホッとしました」
「オレは、いったい」
「日曜日に倒れて、そのまま二日も眠ったままだったの」
「じゃ、ここは?」
「宍戸城よ」
思い出した。生命線が削られた後、急に身体の力が抜けて倒れてしまったのだ。
「ごめんな、みんなに心配かけて」
「いいのよ。気にしないで」
「お兄ちゃん、何か食べたいものないですか? お腹空いてません?」
「そうだなぁ……」
「あ〜、ご主人さまぁ。ようやく、お目覚めになりましたかぁ」
「エリス!?」
「よかったですぅ。ささ、次なる願いはなんですぅ? どんなことでもエリスにお申し付けくださいましぃ。これからは、こうして一つ屋根の下で、いつも一緒でございますからね」
「一緒!?」
「はい〜」
マジかよ!? オレは亜紀とメグちゃんの顔を見た。
「それが、お父さんたちが……」
困ったような顔で亜紀がうなずくと、追いかけるようにメグちゃんもうなずいた。
見れば、オレの机も本棚も荷物も全部運び込まれている。
「じゃ、ここはオレの……」
「そうよ。ここが、祐也くんの部屋。私の部屋も、メグちゃんの部屋も、それにエリスの部屋もあって、もう荷物も運びこまれているの。最初は、エリスと祐也だけがここに住むって話だったんだけど、心配だから私とメグちゃんも住むことにしたの」
聞き終えた時には、オレは笑っていた。
「あっはっはっはっ、クソ親父め、やりおったか。やりおったか、クソ親父が……!?」
今のって、親父にDVD で見せられたいにしえに流行った宇宙戦艦アニメの敵側総統のセリフみたいだったなと思いつつ、副総統の「……おかしくなられた」という自己ツッコミを入れているオレであった。
で、これから、どうなっちゃうんだろ、オレって……?
〔オレの寿命 −1000日〕
《第2話 おしまい》
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